棚倉町議会 2020-03-10 03月10日-04号
この山岡小学校の要望書の提出というのは、私的に言わせれば、江戸幕府の最後の将軍である徳川慶喜公が、いわゆる政権を返上、奏上すると、そして大政奉還という手段を取ったというね、それをほうふつさせるような、高野の皆さんにとってはそんな感じであったのかなという思いが非常に強く私持っているんですよ。したがって、高野小学校のPTAの皆さんに再びこのような思いをさせてはならないと思っております。
この山岡小学校の要望書の提出というのは、私的に言わせれば、江戸幕府の最後の将軍である徳川慶喜公が、いわゆる政権を返上、奏上すると、そして大政奉還という手段を取ったというね、それをほうふつさせるような、高野の皆さんにとってはそんな感じであったのかなという思いが非常に強く私持っているんですよ。したがって、高野小学校のPTAの皆さんに再びこのような思いをさせてはならないと思っております。
水戸市と会津若松市の関係については、会津藩最後の藩主である第9代藩主松平容保公は徳川慶喜公と幕末の京都の警護に尽力した水戸藩と関係の深い人物であり、また水戸藩第6代藩主徳川治保公の子孫でもあります。このようなことから、会津若松市と文化交流を深め、将来的に姉妹都市または親善都市の盟約を結ぶことは重要ではないかとの質問が平成27年12月の水戸市議会一般質問でありました。
江戸の城下町が戦場となり灰じんに帰す災禍から救い、徳川慶喜の助命、大政奉還へと導いた西郷・勝会談が歴史的に評価されています。しかしながら、その前に、その会談を実現させた功労者がいました。